大溝を歩く―総門―

JR 近江高島駅から北へ約400mの場所に総門と呼ばれる大溝陣屋関連の建造物が所在しています。

元和5年(1619)に伊勢上野(現三重県津市)より分部光信が藩主として大溝に入封して以降、大溝藩は、廃藩置県まで約250年続きます。分部 光信は、約2万石を領有し織田信澄が築いた大溝城を取り入れるかたちで陣屋(※1)を構え、その西に武家屋敷地を、北には職人町を設けて城下を整備したと されています。

現在、「郭内(かくない) 」と呼ばれているところは、かつての大溝藩の武家屋敷地で周囲に堀を巡らせ総門・西門・南門などいくつかの門が設けられました。

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総門は、「郭内」の北面に設けられた門であり、その位置および名称から武家屋敷地の出入りに使用されていた最も重要な門(正門)と考えられています。

現在の総門を調査した時に発見された棟札には、宝暦5年(1755)に修理されたことが記されていました。

また、小屋束(こやづか/※2)にみられるように明らかな転用材が混在していることから、前身建物の部材を再利用していたとみられます。

調査の結果、総門は、桁行約17.8m、梁間約3.9mの長屋門で、屋根は入母屋造の桟瓦葺、中央部に扉口があったと考えられます。かつての外観が想像できるような扉は現存していませんが、屋根には大溝藩主分部家の家紋である「丸の内に三つ引き」の瓦が葺かれています。

総門の復原図を見ると大溝藩武家屋敷地の正門として、壮大な建造物であったことがうかがえます。

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『大溝郭内の昔話』(高島町歴史民俗叢書第一輯(しゅう))によると、総門の左右には高い板塀が廻らされており、大門の西側には耳門(じもん/※3)があったとされています。ここからも当時の壮大な総門の姿を想像することができます。

総門は、現存する大溝藩政時代の重要な建物であり、市指定文化財に指定され保存されています。

総門や郭内(武家屋敷)、町屋など、大溝陣屋周辺は大溝の文化的景観を構成する重要な要素です。

(※1) 陣屋:藩庁が置かれた屋敷で、城を持たない大名が陣屋を構えたとされています
(※2) 小屋束:棟木等の下に立つ垂直材
(※3) 耳門:くぐり戸の意味

 

出典:広報たかしま 平成26年7月号