城と城下・大溝を歩く

JR湖西線近江高島駅を降りると、そこは、今から約400年前にあった大溝城や城下町の名残を感じながら散策することができる適地となっています。

大溝城跡[1]は駅の東側に所在し、天正6年(1578)に織田信長の甥である信澄(のぶすみ)によって築城されました。縄張り(設計)は、知将の 明智光秀とされています。天正10年、信長が光秀に攻められ本能寺で自害すると、光秀の娘婿であった城主の信澄は、織田信孝と丹羽長秀 (にわながひで)に大坂城で襲撃され自害。

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信澄が去った後、大溝城主は代々替わり、天正13年(1585)には京極高次(きょうごくたかつぐ)が城主として入り、浅井(あざい)三姉妹の次女 お初さんと新婚時代を過ごしたと言われています。この頃のことは、水上勉著作の『湖笛(こてき)』に取り上げられています。これ以後、 大溝城は廃城され、その部材については、甲賀市の水口岡山城に移されたといわれています。

次に、駅から東の方へ移動すると、高島市民病院の駐車場の横に新しく屋根瓦を葺(ふ)き替えた分部神社[2]が鎮座しています。同社の周辺が大溝藩 の藩邸の中心部です。ここから西方にかけて家臣団の屋敷地が藩主の菩提寺である圓光禅寺(えんこうぜんじ)まで広がっていました。こうした陣 屋の北町通りに面して総門(そうもん)[4]が設けられ、今も現存する藩政時代の建物として保存されています。

総門から北側と東側には町人町が区画されていました。大溝湊(みなと)周辺には、六軒町・長刀町・船入町・江戸屋町などが町名として残っています。 北側の町人町については、本町・中町・西町・伊勢町・石垣町および新町があります。町名の由来は町ごとに設置されている観光道標に記されています。本町の 通りには、古民家を利用した再生民家が軒を連ね、びれっじ1号館[5]から8号館まで誕生し、各館の特色を活かした活動を展開しています。

大溝城跡や大溝城下の散策には、総門に「大溝まち並み案内処」が開設されていますので、そこで情報収集し城下歩きをするのが、お薦めです。

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出典:広報たかしま 平成25年10月号